立ち直って

前話より続く。
 
14歳、18歳、19歳と、
立て続けに仲間、恋人に裏切られてきた私は、
ズタボロになった精神を幾重にも包んで、
毎日を勉強に費やしていた。
 
医学、分子生物学、法学。もう自分の生活のため、と言うより、病んだココロを癒すために、活字を追っていた。そのうち、闇の仲間だけではなく、学友だった奴、雀友だった奴も、医学・法学は私を頼るようになってきた。
 
ま、分子生物学は、それから数年して知り合った、ヤフチャ科学部屋の仲間に、コイツ、ちゃんと勉強しているな、と思っていただける程度には学習した。当時の科学部屋は、コピーライター? 文系でしょ? なんでここにいるの?あんまり女の子居ないよ? 的な応対をされたが、ワトソン、クリック、ヘイフリックの限界、
ペンフィールドの針刺し実験、と、そちら関係の話題を展開すると、
「ち。ナマモノ屋かぁ」と言った対応で、それでも科学部屋の常連として、
識知されていった。
 
これがアルコール依存から離脱する、原動力になる。
 
ADH、ALDHをそらで読めるくせに、あんな勉強していなさそうな医者に、
「ああ、アルコール依存ね。はいはい」と、あしらわれて、
悔しくないの? と科学部屋を引退後、人づてに仲良くなった、
不定期に登場していた研究医の彼に言われたから。
 
これは悪く言えば、最先端の未来の医学を模索するものが、
健保の枠に縛られる臨床医と、仲が悪かった、とも言える。
 
臨床医にしてみれば、「目の前に患者がいても、なんにもできない研究していて、医者と呼べるか!」と言う反発を受けた、と彼は言っていた。
 
アルコール性肝炎2発、亜急性膵炎1発、
お酒が原因と思われる病気で、3回入院した。
 
当時、仲の良かった医療関係の卵の女の子(私の片思い)は、
退院してきた私に、「・・・これ以上、連絡なかったら・・・」
と、軽いオドシをかけてきた 笑。
 
当然、アルコール依存は一滴飲んでも命取り、
と知っていたのだろう。私のこと好きなら、お酒、辞めて、
と聞こえた 再笑。それもあり、ジワジワと私は、
お酒に頼らず、自分を律する方法を模索し始めた。
 
このとき、役に立ったのが、私がプロの物書きだと言うこと。
自著を書き、ブログを更新し、昔の学友、仕事仲間、科学部屋、
本部屋、政治部屋、音楽部屋で知り合って、
アドレス交換した相手に、時節の挨拶、近況をギャグ混じりで、
送るようになっていった。たまぁに、ちゃんと返信があり、
亀レスごめん、とか2ちゃん用語も憶えた。だから。
 
アルコール依存は治らない・・・、その医学常識を覆すべく、
機会飲酒に止めている。そして、医学常識を覆すのは、もうひとつ、アレを辞めなきゃ・・・ と言う常識も、現在進行形で覆そうとしている。大学病院にも三次救急病院にも拒否られた方法で。
 
あ、そうそう、もうすぐ彼女の誕生日だ。
ごめんね、プレゼント、出来なくて。
 
 
※ところで私のことをネット検索していて、私の悪口が届いた方、
すぐにKサツに通報してください。法務局には報告してあります。
刑法の名誉棄損罪か、侮辱罪、またこういった事実を耳にして
警察に届けないと、準共犯を問われることもあります。
もう三人、共犯かなぁ。
 
 
コピーライター・作家・編集ライター・肥満予防健康管理士
CNJがん情報ナビゲーター制度履修 栄養学者 法学者
ヤフーチャット科学部屋・生物医学担当 元不良少年  江古田潤