あの時の彼女

 

 
 
毎度、毎度、自著のアピールをしている場合ではない。
 
ブログは、日々のつれづれを綴る場所。
 
それでは、他人に話していちばん面白くないって定番の、
 
夢のハナシをする。人は睡眠中、数個から数十個の夢・・・
 
ま、これは皆さんご存知だと思う。
 
記憶に残る夢と消されてしまう夢、
 
その違いはf-MRIを使っていろいろな学説が発表されているが、
 
ここが西洋医学の悪いところで、個人差の大きさ、
 
また実体験と夢の記述の差を考案した論文はほとんどない。
 
彼女が出てきた。最後に会ったときだから、
 
二十歳か二十一歳。ずっとロングにしていた髪を、
 
ツインテールで結んでいる。いつも、私がウツに沈み始めると、
 
武蔵野音大の角、環七の歩道橋、江古田駅改札で、
 
ばったりと会った。数か月ぶり以上、会っていないのに、
 
「どうしたの?」とまるで教室の隣の席に居るように、
 
呼びかけてきた。なんで今頃? と、悩む。
 
そうか、あの日が過ぎたのだ、と気が付く。
 
なぜか私は今のつれあいに泣いて話した。
 
彼女には話せなかった。どんなに辛くても。
 
心配して来てくれたのか・・・。テレパシーがあるとか無いとか、
 
脳波の伝達範囲は、とかはどうでもいい。
 
心配して来てくれた、当時の彼女が。
 
それだけでいい。
 
 
 
 
コピーライター・作家 病者 江古田潤