特攻(ぶっこみ)の潤
12月5日、深夜。日本列島は冷え込んだ。
東京も変わりない。零時を回ると外気温は2度、3度。
同じく国道との交差点。ピーポーが聴こえる。
ハイメディックの文字。高規格救急車。
もっともノーマルの救急車のほうが少なくなったが。
交差する国道も片側三車線。深夜零時過ぎのこの時間、
交通量は花金の夜だけに高く、制限速度50kmの道路を、
たいていのクルマは70km/h越え。
救急車のサイレンとランプに気が付いても、
止まれない。よって交差点にはクルマがあふれ、
救急車も合流できない。・・・ち、仕方ねぇな・・・。
私はクルマを降り、赤のミニコーンを懐中電灯のトップにかけると、
車列のなかに歩いて行った。黒のアーミーコートは、
裏側を羽織るとエマージェンシー・オレンジである。
70km/hのクルマを止められるか?
17歳のとき、仲間と作ったバイクチームで、
私はサブリーダー。長が付くのは趣味ではない。
ただ、特攻隊長だったら引き受けてもいいよ、
とバイク仲間に告げていた。特攻隊は、信号が赤でも、
交差点に突っ込んで車列を止め、グループが走行できるよう、
身体を張る係。灯した赤のカラーコーンを頭の上に掲げ、
三車線の真ん中で、ガンを飛ばす。急ブレーキと急ハンドルで、
私の横を通り抜けていくクルマたち。ちぇっ、気合いが足りないか、
もう一度、踏ん張って車列を止めようとする。と、
向こうからやってきた、大型トラックが、頭を振って、
三車線を塞ぐ格好で停止した。運転席から男が顔を出し、
手で回れ、回れ、のサイン。すかさず私は救急車を誘導し、
交差する道路に走りこませる。助手席の救急隊員が、
深々と頭を下げる。順調に走り出した救急車を、
見守っていた大型トラックはきちんと前を向き、
後方を付いていった。私の横を通り過ぎる時、
荷台の側面に、昇り竜。デコトラの照明を点滅させて、
後続車の注意をひき、停車させたのだ、と気づく。
フォンと小気味いい挨拶を残し、走り去っていく。
そうか・・・菅原文太さんが降りてきたのか・・・ふ。
トラック野郎一番星。トラック運転手の彼も、
昔は族の特攻隊だったのかな・・・あの手の回し方、
バイクチームの、「停めてある、急げ」のサインに見えた。
横浜ナンバー。ス○○○ーの横浜チームに当時、
勇猛果敢な特攻隊があったな、と独り思う。私のチームは、
一回も全員で走ったことはない。私の特攻隊帳歴はゼロ。
だが、希死念慮はダテじゃない。70km/hの四つ輪が怖くて、
刀1100でオーバー200km/h越えのフル加速なんてできるか、
と、ふと若かりし日を思い出す。この気温と時刻、
t-PA(ティッシュプラスミノーゲンアクチペーター)適応だが、
他に出血部位があれば使えない。止血できなくなってしまう。
そうか、ふ・・・と笑う。もう私はバイクのことより、
医学知識のほうが多くなってしまった。だが・・・・。
あんな特攻隊長と一緒だったら、またバイク乗りに戻ってもいいな、
ふと、そんなことを考える師走の未明。
コピーライター・編集ライター・作家
元・単騎バイク乗り 元バイクチーム副隊長
ヤフーチャット科学部屋・生物医学担当 江古田潤